岡城(竹田城)祉
大分県竹田市
昭和11年国指定史跡


こちらから城門へ〜
大分県竹田市にある岡城(竹田城)跡は
有名な作曲家、瀧廉太郎の「荒城の月」
の舞台にもなっている城です。
文献では文治元年(1185年)武将緒方
三郎惟栄(これよし)が源義経を迎える為
に築城したと言われる。後に豊後国守護
大友氏の分家、志賀貞朝一族が居城。
文禄3年(1594年)播磨国の中川秀成
が志賀氏の後に居城、本丸等を整備し、
一族によって現在の城郭が築かれた。
が、廃藩置県制度で取り壊される事に。
入口の案内板〜
標高325M! 桜の名所、紅葉の名所としても有名な城
入城料は大人300円(小中生150円)
登城手形と岡城の説明等が記された絵
巻が貰えます。
入場料を払うともらえる登城手形と絵巻
入城したのは4月6日でしたが桜は既に
満開の時期を終えて散り始めた頃(--)
秋の紅葉の時期にはまた別の趣になる
事でしょうねぃ
桜はもう・・・
半分散ってます
二代目大手門跡 桜並木の坂を登って行くと大手門跡が見
えてきます。日差しの影響で近戸側から
移建されたもの。平成11年に復元され
たけど、何故壊す?見たかった(--;)
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本丸跡へと続く門の手前からは、この城が敵
からの侵入を防ぐ絶壁の石垣が!天正14年
(1586年)より3度に渡る島津藩侵入を撃破
豊臣秀吉の謝状を貰う程の「難攻不落の城」
すぐ上が本丸跡
絶壁の石垣
本丸へ登る前に・・・
この人の存在も忘れてはいけません(^^;)
瀧廉太郎
♪春高楼の〜♪
少年時代を竹田で過ごした作曲家滝廉太郎。
明治2年の版籍奉還、廃藩置県による中川
一族の去城後、明治7年大分県による払い下
げで取り壊わされ荒れ果てたこの岡城を登って
遊んだとされる廉太郎は、明治34年に中学校
唱歌「荒城の月」を作曲し岡城への想いを綴っ
た。23歳の若さで他界。
満開ならばもっとよかったでせう〜(^^;)
銅像の前に茶屋があるでよ〜
こちらが本丸跡でございま〜す 本丸跡の天満社
足を進めて本丸跡へ、ここには三重櫓跡と
御金倉跡、石碑に天満社があります。
眼下に望む白滝川からここが難攻不落の城
である事が証明されます。眺めもGOO!
すんごい急斜面だべ
家老屋敷跡より本丸跡を望む 見事な石垣、こちらが近戸門跡
秋にも行ってみたい城ですねぃ(^^)