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![]() 27年の生涯ながらも幕末明治維新に 奔走した高杉晋作、と言えば山口は山 口でも「萩」では?とお思いになるかと思 う所ですが、遺言によりここ吉田地区に |
ある「東行庵」にお墓があります。 この地は清水山と言って幕末紀、奇兵隊の 軍監であった山縣有朋が麓に建てた草庵。 整備されて観光地化されていますが、平日 もあってか、人は疎ら。でもこちらとしては 願ったり叶ったりです(^^) 早速、晋作のお墓へ。伊藤博文ら寄進の灯 篭や隣には奇兵隊参謀福田公明の墓も。 お墓は昭和9年に国の記念物(史跡)として 指定されてます。墓石に「東行墓」と彫られ ています、晋作の号が東行であったことから 晋作が眠るこの地を東行庵としたのでしょう (元々「無隣庵」と名付けられていた) 晋作のお墓の下にひっそりと置かれている のが、晋作の側室(愛人)おのうのお墓。 | ![]() |
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![]() 明治維新に奔走する晋作を支えたおうの は晋作の没後、出家して尼となり、梅処 尼としてこの東行庵初代庵主になる。 すぐ横には奇兵隊戦士達のお墓が並ん |
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でおります。維新戦争で亡くなった多くの 隊士は十代、二十代の若者で、子孫も無 い為にお墓は無縁仏となっていた所を東 行庵三世谷玉仙羽が昭和46年に墓地を ![]() |
開き、各地に散らばった隊士の遺骨を集 め、この地で供養。 並べられた奇兵隊のお墓を挟んで中央 の石段を登って行くと聖観音菩薩石像へ 昭和48年に隊士達の慰霊の為に約3M の像が建てられたそうです。 さて、反対側へ足を運んで高杉晋作像へ 天保10年長州藩主の長男として生まれ、 | ![]() |
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18歳で吉田松陰の松下村塾に入門、 革命戦略家として奇兵隊を組織、各地の 討幕戦を指揮して戦果を上げるも慶応3 年、結核によりその生涯を閉じる。 ![]() |
![]() 麓に戻って東行庵へ。無隣庵建立後 明治2年、山縣有朋は欧州へ旅立つ祭 に、晋作亡き後出家したおうのへ贈った。 明治17年に伊藤博文、山縣有朋、伊藤 | ![]() |
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東行庵の対面にはここ吉田地区から戦 場へ向かった戦没者の忠魂碑がありま す。小倉戦争から太平洋戦争までの戦 没者計158名の方達の名碑が。 ![]() |
東行庵をゆっくり見た所で小腹がすく方も いらっしゃる事でしょう〜(^m^) 駐車場入口にはお約束のお土産屋さん 「晋作もち」一個95円、高いか安いか? ![]() | ![]() |